月組『Golden Dead Schiele』をみた

観劇中に感じていたことを忘れたくないだけの、わたしのための脳直メモです。

 

 

第1幕

第1場 遺されたアトリエ

・開演アナウンスだけでぐっときてしまう。客席のこちらの集中力を高めてくれるような落ち着いた声色。

・『死と乙女』の背景みたいなセット、線描のダンサーたちの衣装がとても美しくて、幕開きから世界観に引き込まれる。

語り部レスラー(英かおとさん)の静かで穏やかな声からもう彼の人柄がみえるのがよい。

・主人公の死の場面から物語が始まる構造は特段珍しいわけではないけれど、妹ゲルティ(澪花えりささん)が話しかけるのがエゴンを演じているはずの彩海さんではなくて、死の幻影(彩音星凪さん)なのがおもしろい。この作品におけるエゴンと死の幻影の同一性を匂わせつつ、死の幻影に誘われるように、舞台中央の『死と乙女』の画から同じポーズの本当のエゴン・シーレ(彩海せらさん)とヴァリ(白河りりさん)が現れるしかけもシンプルな驚きと美しさがあってよかった。

・(ただ、その後にエゴンが「君を抱く僕はまるで死の幻影」とまさに歌うのは、答え合わせされてるみたいでちょっと面白くなる時もあった…なんというか、全体的に歌詞が直截的すぎる気がしなくもなかった)

 

第2場 プロローグ(死と乙女~第2回国際クンストシャウ)

・『死と乙女』のポーズから始まるプロローグがすきだった。死の幻影に囚われるエゴンがヴァリとの別れに見ていたもの、クリムトへの憧れと畏れ、自分の才能への信頼と驕り…短い場面なのに情報が詰まってる。音楽も素敵だし、ただ美しかったり格好良かったりするだけじゃない不思議さのある振付にも引き込まれた。

グスタフ・クリムト(夢奈瑠音さん)の燕尾服姿がなんだかかわいくみえた。けどその後の本編の出番で醸す暖かさだけじゃなくて、その存在がエゴンに与えたプレッシャーも十分に滲ませていて凄みがあった。

・グスタフとエゴンがふたりで踊るところ、後ろの線描のダンサーがエゴンの実際の絵のポーズを取っているのかなと思われるところがあった。たぶんここ以外にも。絵画の世界が抽象的に、でもたしかな肉体をもって目の前にあってすごく素敵な振付!

 

第3場 レオポルドの家・1919年

・レスラーさん、レオポルトさん(佳城葵さん)、エーリッヒ・レーデラー(真弘蓮さん)の三人芝居。交わしているのはわりと説明台詞に近い言葉なのに、それぞれの立場(身分や職業、エゴンへの想い…)や性格がみえるのがすごい。お芝居の技術を感じる。

 

第4場A トゥルン駅

・少年エゴン(静音ほたるさん)と少女ゲルティ(八重ひめかさん)が元気いっぱいでとにかくかわいい。少年エゴンがDiaryの彩海さんの衣装を着てるのはずるい!えもい!

・お母さんのマリー・シーレ(桃歌雪さん)が「街は華やいで 子供たちは駆け回る これが私の幸せ / 世界で一番まぶしいもの それは あなたたち」と子供たちを見つめながら歌う声があたたかくて品があって、それだけで泣けてしまう。

・兄妹が静音さん八重さんから彩海さん澪花さんに入れ替わるところをいつもめちゃくちゃ見ていた。照明が当たる前からとびきりの笑顔でゲルティを見つめながら飛び出してくる彩海さんがかわいかった。少年時代から演じてくれて嬉しいし、ここから声色や表情がどんどん変わっていくのが見事すぎる。

・エゴンが明るい声で「街は華やいで この景色を僕は絵に描く これが僕の幸せ / 世界で一番まぶしいもの それは…」と歌う瞳の輝きがものすごくて、お父さん(大楠てらさん)にスケッチブックを燃やされた瞬間に失われるその輝きを下手の席から観て苦しかった。

・エゴンの絵画への道を否定する父とのやりとりは3回(裁判のシーンを入れたら4回か)あるけど、上手→下手→中央セット上と、舞台の全部を使っていて印象に残るね、丁寧な演出だね、という話を友人とした。

 

第4場B ギムナジウム

・弱っちそうな3人(和真さん、涼宮さん、天つ風さん)にぼこぼこにされるエゴン。もはや彩海さんのお家芸になりつつある暴力受け芸にちょっと面白くなる。

・鏡の中に浮かび上がる死の幻影。浮かび上がる、という表現がしっくりくる、彩音さんの存在感のコントロールがすごかった。彩音さんと彩海さんとの踊りは公演を重ねるたびに息が合って、音にもきれいにはまって、エゴンと死の幻影の接近と拒絶の反復が鮮やかにみえるようだった。

・自分の描いた絵を掴んで「僕にはこれしかないんだ」の表情の複雑さを私には形容しがたくて、でもラストで『死と乙女』を描き切って見せる表情と一貫性がある気がしてすごく心に残った。

 

第4場C 父の死

・母に「どうして母さんはわかってくれないの。僕が絵を描きたいこと、知ってるでしょう…?」と縋るような甘えた声を出す子供と大人の間にいるエゴンがずるくてよくなくてよい。

・エゴンの一人称がずっと"僕"であること、中流階級出身の育ちの良さを滲ませる脚本上の役割を理解しつつ勝手に心をくすぐられていた。

 

第5場A プラーターの酒場

・真ん中を注視しながらも、酒場のみんなが毎日違うことをしてるのを感じていいなと思った。とくに天つ風朱李さんのボトルやグラスに入ったお酒が見えるような細やかな仕草、彩姫みみちゃんの自由な酔っ払い芸が楽しそうで嬉しくなった。

・新芸術集団の歌の勢いと眩しさがすごい。舞台の隅々まで生き生きしていて、ひとつの場面をつくろうとするエネルギーのきれいな塊を受け取ったような気持ち。その真ん中に立つのが彩海さんであることがたまらなかった…。

・歌中でエゴンがたくさんの人と交わす笑顔がそれぞれに違って、その表情の豊かさに何度でも驚いた。

・酒場の場面は1918年のレスラーさんが当時を振り返る思い出のひとシーンなのだと思うと、眩さを感じるほどに、もしかしたらここのエゴンの笑顔を最後まで守りきれなかったと思っているかもしれないレスラーさんの苦しさに勝手に共感してしまう。

 

第5場B 路上

・レオポルト叔父さんとエゴンが歌で喧嘩するの、ミュージカルを感じる。佳城さんの過不足ないお芝居がすきだけど、歌ってもそうなんだなあ。

 

第6場A エゴンのアトリエ

・ジャケットを脱ぐだけで次の場面に進むのがなんだかいい。

・鏡越しにモアと自分を描くエゴンのそれっぽいポーズ、もちろんかっこいいしオペラグラスを上げたけど、たまに中の人の画伯ぶりが脳内にログインしてこっそり気が散っていて申し訳ない(誰に?)。

・「クンストシャウで見た、ムンクゴッホ、そしてクリムト。みな自分自身と向き合っていた。これからは個人の時代が来る。」の自分に語り聞かせているみたいに、囁くような声が興奮気味に段々大きくなるのがよかったな。絵が描けないなら生きる意味がない、という前場の台詞にこめられた絵を描くことへのモチベーションの絶対性への説得力が増すというか。

・モアにつまらない男、と蔑まれて微かに振り返るところ、鉛筆を持ったままの指のうつくしさ、仲間と喧嘩して金策に頭を悩ませながら天を仰ぐ表情とため息。前方席でもオペラグラスをつい覗いてしまった…。

・酒場での仲間との結束→叔父さんとの喧嘩→アトリエでの絵を描く興奮→仲間との喧嘩…とずっと出ずっぱりのエゴンの感情がジェットコースター過ぎるので中の人が心配になったけど最後まで杞憂でした。

 

第7場 クリムトのアトリエ

クリムトのアトリエの乙女たち、ひとりひとりが美しくて夢のような場面。『ベートーヴェンフリーズ』の絵が動いているみたい。朗らかな目元の乃々れいあちゃん、つんとした口元の八重ひめかちゃん、うっとりした笑顔のまのんちゃん、包容力溢れる桃歌さん…表情もみんな違ってそれぞれ見つめたかった。

・このシーンに限らず、コーラスがきれいで神秘的。こういうディテールが世紀末ウィーンの香りを漂わせるのかな。踊りながらお芝居しながら美しく歌っていてみなさんすごい。

クリムトさんがキャンバスの前で居眠りしているとき、腰掛けたスツールの上の太ももの筋肉の形がスモック越しに透けているときがあって、中の人を感じてこっそりときめいていた。

・「少し水を飲んでくる」「私が」「君は使用人じゃない、大丈夫だ」とか「グスタフでいいと言っただろう」「すみません…グスタフ」とか、こういうやりとりに熊倉先生の健全さと丁寧さを感じてほっとする。

・自分の作品に対するヴァリの感想を聞いたとき、クリムトのアドバイスを聞いているとき、まばたきをほとんどしないで相手を見つめるエゴンのまっすぐな眼差しがすきだった。絵を描くことに対する真剣さがこもっているようで。

・「君は芸術を追い求めるべき存在だ。君には才能がある。いや、ありすぎる」「君は誰にも描けない一瞬を捉えることができる。だからもう私を目指すことはやめなさい。」「芸術というものは簡単には見出せない。だが、君にはできる。そこから目を背けてはいけないよ。」なんて厳しいことを言うんだ。そしてなんという当て書きなんだろう、と思った。ロセッティのときも感じたけど、意識的なんだろうか…。

・「見つけたい 自分だけの新しい世界 もっと飛べるはずだ 君なら/僕なら いつか必ず」と歌うグスタフとエゴンのデュエットソングはきっと熊倉先生がこの作品を通して彩海さんや月組や宝塚に送るエールなんだろうなと思わせてくれて歌詞もメロディもすごくよかった。ふたりが丁寧に声を合わせて歌う姿も、グスタフとエゴンのお互いへの敬意が滲むようで美しく、照明の爽やかな明るさもあいまって、モデルの場面に引き続き夢のようだった。

エゴンと歌った後、場面の始まりと同じようにイーゼルの前に腰かけるクリムトが満足そうに笑っていることに気づいてぐっときた。若者の才能を信じている微笑み。

 

第8場A プラーターの酒場

・新芸術集団の展覧会を経てマックス(七城雅さん)とエゴンがお互いの芸術論をぶつけ合うところ、それぞれの言い分が理解できるだけに切ない。マックスの「受け入れられる絵を描くべきだ」という立場も、エゴンの「人の真似をしても新しい芸術は掴めない」という主張も、ものをつくる姿勢としてとてもわかる。

・七城くんの怒りのお芝居が熱くて、しっかり場面をリードしていて、そのテンションを柔軟に受け返す彩海さんとの喧嘩がかなり見応え十分だった。あとは、マックスに胸ぐらを掴まれてエゴンの身体が少し浮くのがとてもよかった…。

 

第9場 ノイレンバッハ

・先行画像と同じ、絵の具で汚れた赤いスモッグ姿、待ってました…!ちょっと腕を捲って細くて筋のある手首が見えてるバランスがよい。

・グスタフのアトリエではイーゼルに置かれたグスタフの描きかけの絵の前にエゴンの素描が並べられて、今度はエゴンの絵の前にグスタフの絵葉書がさりげなく置かれるのがすきだった。お互いが自分の絵と同じくらいかそれ以上に相手の作品を大切に見ていることの象徴に思えて。

・「絵は描き続けないと到底グスタフには及ばない」と当然のことのように熱をこめて呟くエゴン。絵を描くことに対する真摯さ、純粋さがまっすぐ伝わる。この言葉をずっと覚えていたヴァリだからこそ、拘置所にいつも使っている紙と鉛筆を持ってくるんだよなと。

・ヴァリの「あなたの絵がもっと見たくなった」という台詞もいいなと思った。その前に共にアトリエで過ごすモアは、情欲の対象としてエゴンに興味を持つ描写があるから、そうではなくてエゴンの作品自体に興味を持ってくれるヴァリの特別さがよくわかる。

・りりちゃんヴァリの軽やかな口ぶりも、ヴァリの言葉を丁寧に聞いて少しずつ心の壁が薄くなっていくような微かなエゴンの表情の変化も本当によくて、最後の「送ろう」「いいの?」「本当にまた来てくれる?」「もちろんよ」のやりとりが、直後にアントンがナレーションしてくれる同棲の経緯に違和感がないほどに、恋の始まりとしてこれ以上ないくらい機能していてたまらなくなる。恋をする彩海さんはよい!

・アントンのナレーション中、暗闇の中でスモッグを脱いで畳んでシャツの腕を捲って窓に向かいヴァリの腰を抱くエゴンを見つめ続けているとき、同じくオペラグラスを上げ続けるオタクたちの心がひとつになっていることを感じて楽しかった。準備が早めに整って、一瞬だけ両手を腰に当てて仁王立ちになってた公演があり、そのシルエットがかっこよかった。

 

第10場 タチアナの家出

・ヴァリと隣り合ってシャツ姿で窓の外を見つめてはしゃぐ姿にもときめくし(お尻が小さくて薄いから後ろ姿の男子感がすごい)、さらにヴァリの手を握って嬉しそうに言う「世界に僕たちしかいないみたいだ」の甘さよ…!恋をする彩海さんはよい(2回目)。

・嵐の中身一つで飛び込んでくるタチアナ(彩姫みみちゃん)が、ずぶ濡れであることと暴力をふるう父への恐れから震えるお芝居をしていて、その震え方の日々の探求ぶりに感心した。歌と台詞とのつなぎ目も回を重ねるごとに自然になっていってすごかった。今後の活躍が楽しみな役者さんになった。

 

第11場 エゴンの逮捕

・「いい気味だ~♪」「エゴンのピンチだ~♪」「どうしてこうなった~♪」なんとなく歌詞がおもしろくて、シリアスな場面なのに思い出すとふふっとしてしまう。全員あたりまえに歌詞が明瞭に聞こえるので余計に…。

・絵の具で汚れた白いシャツに黒いスラックスという極めてシンプルかつ華奢な身体のラインがわかりやすい姿で大きめな男役さんたちに乱暴に牢屋にぶち込まれる姿に軽率にぐっときた。膝をついて眉根を寄せながら天を仰ぐ姿、心の奥底をくすぐってよろしくなくてよい…。

 

第12場 拘置所

紙と鉛筆を差し入れたヴァリに「本物の芸術家よ」と歌われてゆっくり見上げる瞳の揺れ、頼りなさ、絶望の色…たくさんのことを語る眼だなと心底思う。その瞳からこぼれた千秋楽の涙が本当にきれいだった。し、どんなに瞳から感情が溢れても声が全く震えないのはどういうことなのでしょう。

・りりちゃんの歌声も、憐れみや優しさより、エゴンが絵を諦めないことへの信頼が何より強くあってよかった。

・紙と鉛筆をただ見つめるエゴンの表情がめちゃくちゃによい。どんな表情なのか言葉で描写する力を持たないことがかなしいほどに。もし万が一私がエゴンを演じたら、悲しみとか怒りとかもっとわかりやすい表現をしていると思う。運命に絶望しているようでも、絵を描くという業に圧倒されているようでもあり…どうしてこの顔、瞳の表情に辿り着いたんだろう…。北島マヤなのかな、見せてくれてありがたい…。実際にエゴンが拘置所で書いたような寂しさと決意の混じるような絵を確かに描いたんだろうなと思う。

僕は僕の絵を描いてやる、の歌のラスト、線描のダンサーに囲まれて、覚醒したみたいなきりっとした(と書くとなんだか軽すぎてもどかしい)顔つきになるところがすき。

・下手から見たとき、エゴンと背後に立つ死の幻影がその背中を見つめる姿が一緒にオペラグラスに入る画がとてつもない迫力だった。

 

第13場 裁判

・「どうして信じてくれないんだ!」「父さん!」の叫びが100点。声も表情も痛ましくて苦しくて、なのにどうしようもなく目が離せない。

・死の幻影に踊らされ、その不気味な指先に絡め取られ抱かれる細い身体に色香を感じてしまう。一方でギムナジウムの場面よりも抗おうとする目力が強くて、彩音さんのそれと拮抗しているように感じた。

・絵の焼却処分が言い渡された後、線描のダンサーが赤い布に絡まってぐったりしているのは、絵が燃やされてしまったことの表現なのかな。線描のダンサーたちの、表情の豊かさをもっとちゃんと見たかった。彼らだけを見つめる回をつくりたいくらいだったけど無理だった。

・セットの表側に引っ掛けられていた赤い布が、さらにその上にかけられたセットと同じ模様の布を線描のダンサーが静かに外すことによって現れるのがすごくよかった。キャンバスから火の手が上がるようにも、傷ついた皮膚から血が流れるようにも見えて、エゴンの痛みをより深く感じる。

・現実の人間たちはみんな階段形のセットの上で舞台の上と左右を縁取っていて、真ん中の平場にはエゴン(死の幻影と線描のダンサーもいるけど)だけがいるので、その孤独や不安がわかりやすいレイアウトだった。

・第11〜13場のスピード感や静と動のメリハリ、舞台上の画の抽象化具合やレイアウトがすごく好みだったし、なにより彩海さんのお芝居がめちゃくちゃよかった…千秋楽の熱演が映像に残って欲しかったなあ。

 

第2幕 第1場 ウィーンのパーティ

・夢奈さんと踊る乃々れいあちゃんがかわいくて綺麗でずっと見ていた。

・登場する主役に注目させる演出って難しいのだなと…ギャツビーの最初の登場を銃声とともにしたり、アイスキャッスルで下手から上手に群衆の振付によって自然に上手のギャツビーに誘導する小池さんの演出はすごいんだなあと思った。

・「やめてくれ!」の悲壮感よ。

・レスラーさんに八つ当たりするエゴン、ダメなやつだけど明らかに甘えていて愛おしくなってしまう。

・「僕を見てくれたのは…ヴァリだけだ」この…の溜めがすごくよくて、孤独、悔しさ、怒り、縋るようなヴァリへの想い、、観劇のたびに複雑に受け取れるように感じた

・アデーレ(菜々野ありさん)、エディト(花妃舞音さん)と順番にワルツを踊りながら少しずつ機嫌をよくしていくエゴンの表情の変化がさりげなくて、でも鮮やかだった。ふたりの手を取り腰を抱く所作が指先まできれいで、エゴンのどうしようもない育ちの良さが滲むのが美しくてかなしかった。

 

第2場A 帰り道

・「画家も立派な仕事よ」というエディトは社会にも家族にも認めてもらえていないエゴンにとって確かに救いだったのだろうけども、絵を描くことを仕事としか見ていないという浅い認識も透けて切ない。

・別れ際のエディトの鈴を転がすような笑い声が本当に可愛くて癒された。きっとエゴンにとってもそうだったのかなと思う。

・エゴンとヴァリのデュエットがすごく耳に心地よい。NOW ON STAGEで瑠皇さんがおすすめしてくれた「これからもずっと」で両手をぎゅっとするところも、「いまここに生きている」の楽しさがふわっと溢れるみたいな仕草もすきだった。でもヴァリの話をちゃんと聞いて!わかろうとして!と思わずにはいられない。

 

 

第3場 アントンとゲルティの結婚式

・とくに上手から見ると拳が当たっていないのがわかるはずなのに、何度観てもエゴンがアントンのことを本当に殴っているようで震えた。中の人たちはかなり朗らかそうなのに、殴り合い芝居がうますぎるのはどうしてなの。

・絵を描くことよりも愛と生活を選んだアントン。ヴァリはエゴンがそれをできないことを誰よりもわかっているからこそ、エゴンが自分をフィアンセとして堂々と家族に紹介してくれないこと、マリーに「こんな娘」と言われてしまうこと、倒れたマリーに差し伸べた手を振り払われることにも、それに傷つく自分にもっと傷ついているのかな、と彼女の哀しみを静かに深く感じるりりちゃんのお芝居がとても心に残った。

・妹の結婚式で最初から不機嫌を隠さず母を突き飛ばし新郎を殴りつけるエゴンのクズぶりを全力で表現する彩海さん本人とのギャップに驚きつつ、毎回律儀にヴァリと目を合わせてから席に着くところに中の人を薄っすら感じて勝手にぐっときていた。

 

 

第4場 路上

・「あなたはおめでとうも言っていないわ」というヴァリの台詞が実はこの脚本で一番くらいすき。誰よりも傷つきながら、エゴンの言動をずっと見つめていて、それでも周囲と自分の距離感を見失わない冷静なヴァリの在り方がよくわかる台詞だなと思って。

前場でクズぶりをぶちまけ自ら孤立を深めていることを知っているのに、僕は何者だ、と歌うエゴンの瞳からこぼれる一筋の涙を美しく感じてしまうのは、絵を描かかずには生きていられないという彼のどうしようもない真っ直ぐさを、暗闇の中で内側から燃えて輝くようなエゴンの苦しさを受け取らずにはいられないからだと思いたい。ただエゴンに共感するには業が深すぎる。

・死の幻影は、絵に己を捧げるエゴンの情熱が必ずしも周りも本人も幸せに導かない契機のたびに登場するのが、ままならない…。

召集令状を前に「何かの間違いです」の台詞あたりで浮かべる笑みの歪み具合が全然美しくなくて、現実を直視できないエゴンの表情としてすごく生々しかった。

 

 

第5場 ハルムス邸

・ヴァリがお茶会に来ないことを知ったエディトの返答が、公演を重ねるにつれて嬉しさを隠しきれない感じに聞こえて最高だった。まのんちゃんの、かわいさの中に人間らしい生々しさのある女の子の表現の絶妙さがすき。燈影のお壱ちゃんもすごくよかった。

・ハルムス夫人(梨花ますみさん)の押しの強さよ…!わがままエゴンも怯むレベルの人生経験の差に説得力があってさすがです。

 

 

第6場 クリムトのアトリエ

・「聞かれたくない話ばかりだ」と語るグスタフ、納得できすぎる。完全な白ではない、濁りのある暖かいグレーの色合いがやさしい。

・ヴァリの求めているものを"居場所"だと表現するグスタフの深いまなざしに癒されるし、それを選ばず、ひとりで生きてみる、と穏やかに決意するヴァリにも不思議と励まされる気持ちになった。

 

 

第7場 プラハの駐留所

・彩海さんの細い指に指輪が…!と初日から静かに興奮した。

・従軍へのエゴンの嫌そうさが観劇の度に増していてちょっと面白かった。

・エディトの縦ストライプのスカートはおそらくエゴンが描いた妻の肖像画の衣装を模したもので、スタッフさんのこだわりを感じてうれしかった。

・エゴンの日記を読むと、エディトのことも、その家族(とくに鉄道のお仕事をしていた義父を敬愛したらしい)にも愛情を持っていたように感じるので、この舞台作品におけるエディトまのんちゃんの役割が当て馬なのがただただ不憫。だけど、抱きつくエディトの背中を軽く叩いて身体を離すダメ仕草や、うんざりした表情など、見たことない彩海さんを引き出してくれて感謝…。

 

第8場 ヴァリからの手紙 / 死と乙女

・あの女のことは忘れて!と言われたばかりなのに、その女からの手紙をエディトの目の前で読むエゴン、最低さが一貫している。

・苦しむ兵士たちの間を揺蕩うように静かに舞う影の女たちの衣装がすごく素敵だった。

・舞台の端と端からの手を伸ばしあうエゴンとヴァリの振付、彩海さんの腕の長さが活きてよい。

・「僕が描くべきもの、それは何だ!」とエゴンが叫んだ瞬間に脳内に望海さんルートヴィヒがログインしてくるのはどうしてだったんだろう…(第九をつくるところ?)。ともかく鏡の奥の死の幻影とセットの上に一列に並んだ線描のダンサーが暗闇の中から浮かび上がる演出がめちゃくちゃかっこよくてぞくぞくした…そこから『死と乙女』の完成まで一気になだれこむところ、ベアタベアトリクスの『オフィーリア』の場面がすごく好きだったから期待して臨んだけど、期待以上の迫力と美しさだった。

・『死と乙女』を描きあげた瞬間のエゴンの顔が、また一幕ラスト並みになんとも評し難い表情で…!興奮しているようでも、自ら驚いているようでも、絵画の神様への畏怖の色も見えるような気もして、とにかく息を止めて必死に見つめた。そしてヴァリの死の知らせを受け取って変わる表情もまた、単純な絶望とは言い難くて、絵画の神様よりもっとおおきな何かへの畏怖なのか、死と表裏一体の命のいとなみを見つめる達観か、超個人的なかなしみなのか…グスタフと約束した「僕だけの世界」に到達したとき、見えた景色はおそらくかつて想像したものとは全く違ったのだろうなととにかく思った。

・エゴンと死の幻影が入れ替わる振付にプロローグを思い出してはっとした。

 

 

第9場 分離派展

・背中を見せて立つ死の幻影が、ほんの少し動くだけでエーリヒと会話してみせる違和感しかない存在感がすごい。

・展覧会を訪れている客の中に、幸せそうなアントンとゲルティがいることも、エゴンを賞賛する台詞を発する紳士の役が、叔父や父を演じた佳城さんだったり大楠さんだったりすることも、味わい深くてよかった。

 

 

第10場 遺されたアトリエ

死の幻影にかけられた布が取り払われると、天を仰ぐエゴンに入れ替わる演出がすきだった。呼吸の音まで聞こえる静寂のなかで歌い始める「死と乙女 君を抱く僕は まるで死の幻影」の声の静かな圧を息を顰めて見守った。とくに「幻影」の歌い方が闇に音が浮かぶみたいで、場面の美しさを視覚でも聴覚でも受け止められた気がしてとても印象に残った。

・あの大きな布はキャンバス(画布)なのかな。布が剥がされることで、世界が反転して死の幻影と同じ絵の中にエゴンも観客もいるみたいに感じるラストシーンだった。

・グスタフと約束した自分だけの世界にたどり着いたエゴンがみせるのが、達成感にあふれたわかりやすい笑顔ではなくて、寂しいような、人間の底を見るような、鋭い目つきであることが印象的だった。でもけして冷ややかではなく内側に燃える炎も感じて。『死と乙女』を描いた後、敵兵の捕虜の肖像を描いたとき、芸術家と社会をつなぐ場所をつくろうとしたとき、死の淵に立つ妻をデッサンしたときも、きっとあの静かなまなざしで、内なる炎を燃やし続けていたのだろうと思いたい。(元カノと自分の絵を描きそれが絶賛され、でも若くして亡くなりました、という本作の締め方があまり好みではなかった。だったらレスラーさんが書きたいのはエゴンがどういう人だったかではなくて、なぜ死と乙女を描いたのか、でよくない!?と思う)

・背中で終わるのがシンプルにうつくしくて、うれしいと思った。

 

フィナーレ

・フィナーレがあると知ったとき(タカラヅカニュースの稽古場情報を見たとき)でさえ、テレビの前でばんざいしたほど嬉しかったのに、幕が上がって夢奈さんたちの黒燕尾を見た時の興奮といったら!叫ばなくて偉かった。

月組の黒燕尾は力みの抜けたスタイリッシュなイメージがあり、下級生までまさにその印象通りの端正さで踊っていることに感動した…ら、その後真ん中に出てくる彩海さんがほんのり雪組の香りのする(とわたしが勝手に思っている)クラシカルさを発揮していて、ひとつひとつの振付がバッチバチにきまって、懐かしさや愛しさやときめきで胸がいっぱいになった。どちらもだいすき。

・ペア振りでまのんちゃんと踊るとき、わりときりりとした表情を崩さないのに、リフトで正面から見えづらいときにいちばん優しい微笑みがこぼれたことにぐっときた日があった。

・群舞ラストで三角形の隊形になるところ、端っこから見ると後ろの下級生まで立体的に見えて、その頂点にいる彩海さんの姿にあらためて感激した。

・デュエットダンス。登場した白河さんを迎えに行く彩海さんの指先まで溢れるやさしさと嬉しそうな笑顔が忘れられない。音楽が二幕2場の「君を愛してる」から8場の「君に会いたい」の曲をつなげたアレンジで、振付も跳ねるようなかわいらしい雰囲気から、互いに求め合うような熱情を感じるラストまでグラデーションになっているのがすごくよかった。新人公演を卒業したタイミングの、今の彩海さんと白河さんだからこその瑞々しさと色香をたっぷり味わえてうれしい。

・カーテンコールの彩海さんの挨拶が毎回かわいすぎて、この作品のエゴンは絵の才能の代わりに周りを幸せにする力を持たなかった人だけど、演じ切った彩海さん自身は、ひとを幸せにする力に溢れた方だなと振り返って感じている。千秋楽では達成感に溢れた晴れやかさと自信のようなものを感じて、涙を期待してしまっていた自分を殴りたい。最後の瞬間まで、これからの彩海さんの舞台姿への期待が高まった。

 

 

おわり。