初日あたりに観たときは、反戦、フェミニズム、ノブレス・オブリージュ、弱者救済、家族愛などなどの謝先生の込めたいだろうメッセージが記号的に感じなくもなく、
とくに労働者のフランシスコ(彩音星凪さん)たちが"黒衣の弱者"というコロス役を兼任しているにも関わらず、権力者に利用されて最後はアナキストとしてただ捕まってしまい報われないことがかなしくて、もやもやが募った。
けれども何度も観るうちに(6回観た…)、20世紀初頭のスペインという複雑な政治的状況の中でも、個人が他人の主義主張に惑わされず、自分自身の意思で行動を選びとるというシンプルなことを描いた話なのだなと納得できてからはすごく楽しめました。
セシリオ(彩海せらさん)が一幕、二幕それぞれで歌う同じメロディの歌詞の主語が、
一幕では"俺たち"の戦いはまだ続くのか、"俺たち"は生きている、
二幕では"俺"のできることは何か、"俺"は今日も生きている、
と個人に変化しているのがすごくいいな、と思ったのがそんなふうに捉えられたきっかけだった。
わたしたちはこの後のスペインが内戦に向かうこと知っているから、描かれるハッピーエンドが虚しく見えなくもないけど
家族と同じくらい近い距離にいる人たちと集まって、飲み食べ語らい、詩を読んだり歌を歌ったり、年に一度の祭りを楽しみにしていることが舞台上で一貫していきいきと描かれていて、
そんな自分や周りの大切な人のささやかな暮らしを守るために何をするべきか、誰かの思想に準じるのではなくて、エルピデイィオやセシリオのように自身で決めなくてはいけない、というメッセージを勝手に受け取りました。
ちなみに、、、時代背景の予習にと読んだ『情熱でたどるスペイン史』(池上俊一 )の内容や言い回しが、そのまま台詞になっているようでちょっと気になった…(スペイン人は個人や家族に国を従属させている、とか赤の染料は虫が原料とか…)。
謝先生も読んだのかな?勉強されているのは素敵なことだけど、しっかり消化していらないものを削って必要な味付けをした物語をつくってくださいーと思ってしまった。
初日の後に見方が少し変わったのは、合間に『蒼穹の昴』を観たせいもあるかもしれない。
観劇前に原作を読み終えて、大劇場公演の評判もよいしかなりわくわくしていたのに、一度観てなんとなくnot for meだなと感じてしまった…
民のため国のためと革命を目指す主人公は、原作では革命に失敗した理由を、民のためという視線に驕りがあったからだと最後に気づく、その発見がとても大事だと思ったのに、宝塚版ではばっさりなくなっていてすごく残念だった。
一方でELPIDIOの主人公はかつて救えなかった奴隷の少年や友人という目の前の個人を行動の理由にする。
こちらのまなざしの方がわたしは共感できる。
世の中が混沌としているとき(いままさに)、わたし自身がどこに思考の座標を置くのか、思いがけず考えさせられるような二作品だったなと思う。
エルピデイィオとロレンシオ、アルバレス大佐の役のグラデーションが本当に素晴らしかった主演の鳳月杏さん。
どの衣装の着こなしも素敵だし、真ん中としての佇まいも自然なのに吸引力もあって、主演の作品を観劇できてうれしかった。
最後にセシリオの話をします。
刺されるところからロレンシオの独白をただ聞くまでのお芝居が好きすぎて、
ほとんど映像に残らないだろうと踏んでかなり必死に見つめてしまった。
フランシスコの最後の攻撃からロレンシオを庇うだけじゃなくて、もう一働きしてフランシスコを制する(でもその一撃が頭突きなのはちょっとおもしろい)ときの躊躇のなさ、お腹を刺されても相手から逸らさない視線と肩を掴む手の力強さに、ロレンシオを守ろうと固めた意志の強さを感じてぐっときた。
その後、ゴメスさんやアロンソさんの会話やロレンシオの告白を聞きながら、話の内容に丁寧に反応しつつもお腹の痛みをけして忘れないお芝居の律儀さとそのやりすぎなさに感動した。
下記は忘れたくない自分用のメモ!ソファでの無言のお芝居について。
・本物のアルバレス大佐がクーデターを阻止しようとしていた話
→たぶんクーデターという言葉に反応して深刻な顔をする
・ロレンシオがアルバレス大佐の立場を使って国王に植民地について進言することに成功した話
→わーすごいの顔、ロレンシオへの尊敬の念が溢れるような。
・本物のアルバレス大佐が意識を取り戻した話
→よかったねの顔(いいこ)
・アロンソさんの覚悟の話
→思わず笑い、いてて、の仕草(実際に大怪我を負ってるのは自分なのに屈託なく笑ってほんとにいいこ)
・ゴメスさんによるエルピデイィオの詩の朗読
→真剣な顔(亡くなった人たちに自分の勇気ある生き様を示さなければ、という内容だったので、両親のことを考えているのかなと思った)
・「話してくださいあなたのことを、エルピデイィオのことを」
→(ロレンシオの正体について)やっぱりそうなのか!の顔
・エルピデイィオが話し出す
→よく聞こうと身を乗り出して、いてて、となる
・父親が同じ軍人に殺された話
→悲しそうな顔
・権力者の私利私欲を嘆くところ
→怒りが滲むような顔
・名前と国を捨てようとしてキューバを脱出した話
→驚きの表情
・詩の投稿にあたってエルピデイィオの名前をつかった話
→はっとして痛みをこらえながら立ち上がる
・「希望を思い出させてくれたのはあなた方だ」
→嬉しそうな柔らかい笑顔
・本当の名前でこれからは生きていきたい、国の未来を見届けたいという話
→頷くように目が輝く(輝く瞳がほんとうにきれい)
観るたびにちょっとずつ表情やタイミングは違ったけれど、周りの台詞を受けて変わる表情や仕草に込められる感情の密度がどんどん増していくのに本当に感動して、見つめていて全然飽きなかった。
長台詞に過不足なく感情をのせる鳳月さんの力量にも感心したのですが、これはおいおい映像でじっくり楽しむことにします!
2023年も自分の感受性をもっと磨いて、たのしく観劇したいと思います。