月組『月の燈影』をみた①

"川開きのお花火と同じさ 瞬く間に消えちまったとしても 剛気で眩くって 瞼に焼き付いて離れやしない"

 

ラストシーンの喜の字の台詞を何度でも噛み締めたくなるような、一生忘れられない作品になりました。

 

宝塚を観劇し始めてから初めて、ひとりのスターさんにこのひと!と心を奪われたのが彩吹真央さん。

だけどその時はもう退団間際だったため、卒業前に吟味して購入したDVDが『月の燈影』でした。

このたび再演が決まり、さらにいま夢中になっている彩海さんが次郎吉を演じることが発表された日、『海辺のストルーエンセ』観劇帰りの東横線の車中で思わず飛び上がってしまったのを今でも鮮明に覚えています。

 

でかすぎる期待を勝手に抱えて迎えた2023年版『月の燈影』…もう何もかもが素晴らしかった。

まず脚本について、幸蔵と次郎吉のダブル主演だった初演版を大切にしながら、最小限の追加や変更で幸蔵が物語の主軸として違和感なく見えたのも見事だし

演出や振付もほとんど初演のままなので、当時振付をされた峰さを理さんの想いも、今回演技指導・振付に入った彩吹さんを通してそのまま引き継がれているように感じられてぐっときた。

演者のみなさんもひとりひとりに拍手を送りたいほど、全身で江戸の湿度の高い薄闇の世界を体現されていて、ベテラン勢と若手の熱量のバランスがちょうどよく、物語のしっかりした重みと観劇後にどこか明るさを感じさせてくれるような気がした。

そして、幸蔵(礼華はるさん)と次郎吉(彩海せらさん)の持ち味の違いが、物語上での関係性に奥行きをもたらしていて、さらに次郎吉という役を通して、かわいいからかっこいいまでいろいろな彩海さんの表情や声色に出会えたことが期待以上に嬉しく、言葉に尽くせないほど感動しました。

 

 

未来の自分のために、劇場でみたもの、感じたものをなるべくそのまま書き留めておきたいと思ったので、場面ごとにいきます。

※次郎吉、彩海さんのことばかり話しています。

 

 

第一幕

第一場 序章

紗幕の後ろで月明かりの下ひとり舞う喜の字(天紫珠李さん)の美しいこと!

結末を知ってからこの踊りを観ると、本編から9年後の喜の字が、どのような想いと思い出を抱えて芸者を続けているのか想像して幕開きから切なくなる。強くてかっこいいひとだ。

続く三味線の音と、4人の艶やかな芸者さんたちが一気に江戸の町の夜に連れて行ってくれる。同心である大八木(春海ゆうさん)と橋本佐内(柊木絢斗さん)の会話から、二人の立場からするとめでたく悪人=鼠小僧次郎吉を捉えた祝いの宴が開かれている夜であることがわかるのに、大八木さんの苦々しげな様子からこれから始まる物語への興味が惹きつけられてよい。

この場面で登場する辰巳芸者の元吉(咲彩いちごさん)は、ここでは本編の9年後で、ちゃんと芸者として人として成長しているのがお壱さんを庇う振る舞いや仕草にみえるのがすごい。でもああして芸者を続けていると言うことは当然に新助と一緒にはなれなかったんだな…と突きつけられて切ない。

 

 

第二場 プロローグ

大八木さんが9年前を語りかけるモノローグから始まるプロローグ。歌と踊りで表現されるこの場が、9年前と呼ばれた本編よりも前のできごと(兄弟のように育ったという幸蔵と次郎吉が離れ離れになってしまい、お互いの面影を求め続けていること)を表してるのが初見では少しだけ伝わりにくいかも。けど、全編通して時間の行き来が結構自由なところが、舞台ならではで、繰り返し見るたびに唸ってました。

咲き乱れる紫陽花を背景に登場する幸蔵(礼華はるさん)。スポットライトが当たる前のシルエットがもうかっこいい。背が高くてガタイがいいってすばらしい。

幸蔵を追いかけるように飛び出してくる次郎吉(彩海せらさん)。華奢な見た目を裏切るような、低めの柔らかい歌声がバウホールの劇場中を満たすのに、胸がいっぱいになった。(さらに星逢一夜の源太の着物を着ていることにもびっくりして、初日は泣きそうに…)「伝えたい 信じていることを」の歌詞が、傷ついた他者への次郎吉の寄り添い方を表しているようでとてもすきです。

ふたりそれぞれのソロ歌唱の後、次郎吉が差し伸べた両手を幸蔵が握り返してくるくると踊り始めるのだけど、前方席で観た時、ぱしん!と音がするほど強く握りしめていることに気づいてそれだけで涙腺が緩んだ。次郎吉の笑顔が本当にかわいくて、真っ直ぐに幸蔵を見つめる瞳に信頼感が満ち満ちていて、そりゃあクールな幸蔵さんの頬も緩むよね。

そうそう、礼華さんの笑顔は、頬が緩む、という言い方が個人的にしっくりきていて、つくり込みすぎてなくて自然で、見せてもらえるとこちらも嬉しくなっちゃう。

あと、幸蔵や次郎吉の行手や視界を阻むコロスの演出がすごくいい(第十六場も同じくよい)。歩もうする道や人の心を見えなくしたり阻んだり、開いたりするのも、結局は人なのだという気がする。

 

 

第三場 江戸・霊岸嶋新川大神宮の境内

暗闇にひとり残される次郎吉の切ない表情から、火消し仲間の筆松(水城あおいさん)に呼びかけられて、まさに兄いと呼ばれる説得力のある頼もしい笑顔に変わるまでの表情のグラデーションがすごくよかった。いつも人に囲まれて笑顔を絶やさない男の子がひとりでいるときの表情を覗き見てしまったような…さっと隠れてしまうほんとうの顔の儚さにどきっとした。いつだって誰かの呼びかけに、おう、と軽やかに笑顔で応えるひとなんだよね、じろさんは…。

プロローグ終わり→「兄い」「おう」→火消しの揃いの羽織を肩にかけられて、着る→連れ去られた火消し仲間の妹を助けに行く、という本編のお芝居の始まり方がミニマムで好き。

火消しの頭としての存在感に説得力がありすぎる丑右衛門(悠真倫さん)に対峙する文字春(天愛るりあさん)が全然負けてなくて驚いた。芸者としての色気や勝ち気さが見えるし、難しそうな台詞回しも滑らかに耳に入ってくる。

ここで文字春や伊七(真弘蓮さん)の言動に細かく反応して、眉を顰めたり頭に嗜められて息をつきながら襟を正したり帯に手をかけたり、ひとつひとつの仕草に火消しらしい短気さと火消し社会の上下関係が滲む彩海さんのお芝居がすきだー。

伊七が懐刀を抜いた途端、丑右衛門さんを庇うように前に立ち塞がりつつ笑いながら啖呵を切る次郎吉がかっこいい。「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるように、当たり前に喧嘩が強いのにもときめいた。伊七の振りかざす刃物を羽織で受けて腕を掴んだり、隙をついてお橘(澪花えりささん)を助け出したり…振り回した羽織を払う仕草に江戸の街の砂埃を勝手に感じていました。

彩海さんの滑舌や口跡のよさが活きているような江戸ことばだけど、タカラヅカニュースや歌劇の鼎談から察するに身体に馴染むまで相当苦労したのかもしれない…。

立ち回りの最後に登場する幸蔵さんのリーダー感!さらにでっかい粂八(大楠てらさん)やちょっと年上そうでいかにも触れたら切れそうな芳三(空城ゆうさん)を従えている説得力。なのに、次郎吉と目を合わせて動揺が一瞬だけ走るのがちゃんと見えて、いいなと思いました。

 

 

第四場 江戸・永代橋西詰の袂

文字春さんがかっこよすぎた。

ここで文字春、丑右衛門、途中から出てくる大八木さんの会話で、川向うという場所の治安やそこに生きる幸蔵や通り者たちの立ち位置を最小限に説明しているのが上手い(脚本も、それを説明台詞とわからないニュアンスでリズム良く会話する役者のお三方も…天愛るりあちゃん、こんなに素敵な役者さんだったのね…!)。ここの会話から歌に一気になだれ込む流れもわくわくする!そしてただ治安が悪いのではなくて、江戸の権力者たちの汚いお金や欲望が淀辰(夏美ようさん)という謎の人物に集まっていること、どうにも手を出せない大八木さんたち下っ端役人のもどかしさが示唆されるのも面白い。

 

 

第五場 川向う・永代橋東詰の袂

ここまでもここからも、場面転換が本当になめらか…!

通り者たちが一列に並んで、三歩進んで一歩下がるだけみたいなシンプルな振り付けがたまらなくかっこいいのはなぜでしょう。このメンバーの中に男役さんたちだけじゃなくてお壱(花妃舞音さん)とおとせ(静音ほたるさん)の娘役さん二人が楽しそうに混じっているのもすき。ふたりは博打打ちじゃなくて、巾着切り=スリが生業で情報通という設定なのも随所に効いている。真ん中の幸蔵が、仲間に囲まれて笑顔を浮かべつつ、それなりにいきいきとこの場所で暮らしているのがわかるのも、後々仲間たちから向けられる思いを考えるとぐっとくる。

ここに「あらよっと」と空気を読まず飛び出てくる次郎吉の清涼な明るさと、「兄いを幸ちゃんって呼ぶな!」と叫び続ける粂八の噛み合ってなさが絶妙ですきです。誰よりもでかいし刺青まで入ってる粂八、に怯まず襟を掴みかかる次郎吉、に近所の犬に似ているからと「しろきち」と呼びかけながら幸蔵の行き先を教えちゃうお壱ちゃん。みんなかわいくて愛おしいと感じるのは、大野先生の意図通りなのだと思う。川向うに生きていても、次郎吉と同じように幸蔵を慕いながら、自分たちの世界の中でただ日々を生きている普通の若者たちなんだよね…。

 

 

第六場 川向う・深川永代寺門前仲町の料理茶屋

不機嫌を隠さず六八を顎で使うおゑん(梨花ますみさん)、緊張感のあるお座敷の中でもどこか余裕を感じる蝶之助(妃純凛さん)、襖をぱしんと開けて紫陽花を背景に登場する喜の字…女性陣がひたすら凛と美しくかっこいい。幸蔵を追いかけてお座敷に乱入する次郎吉が、ちゃっかり喜の字に一目惚れしているのも、淀辰の手下に幸蔵と間違えられてアニメみたいに顔だけにスポットライトを浴びながら言う「ちがうよ?」も、べたにかわいくてすき。

 

 

第七場 川向う・深川富岡八幡宮の境内

淀辰はっちさんが幸蔵の身体をいちいち触るのが、もういやらしくてだめです。もう一度仲間にならないか?という淀辰の誘いに対して、「断る」と発する台詞までの間を結構たっぷりとっていて、緊張感があってよかった。礼華さん、沈黙を恐れない勇気があるな。

和真あさ乃さん演じる淀辰の手下、きっとこの頃は淀辰に可愛がられていて、意味深なぴりぴりを幸蔵に向けていて存在感があった。かつての幸蔵も同じように可愛がられて、でも和真くんのようには懐かない勘の良さ、用心深さを淀辰は気に入ってるのかなとか、淀辰にとっての幸蔵の唯一無二さを逆に想像させてくれて、よいお芝居だった。

紗幕の後ろで幸蔵の姉、お勝(麗泉里さん)が踊り、幸蔵がひとりつぶやくように唄う曲の「誰かと分かち合う夢さえ 失われ 紫陽花の花の色 留めようもなく」の歌詞も、「また夏が来たよ、姉さん。」の台詞も切なくて…。礼華さん幸蔵の表情にどこかあどけなさがあるのも胸を揺さぶる。

 

 

第八場 川向う・深川佐賀町の塒

喜の字の弟、新助(一輝翔琉さん)の「お、(雨が)上がったみたいだ」の明るい台詞に、川向うの日常にある眩しい梅雨晴れのうつくしさが感じられていいなと思った。(この姉弟二人にとってのじろさんは、梅雨晴れそのものだったのかもしれない…)

訪ねてきた姉の喜の字に投げかける新助の台詞が毎回アドリブで、甘えるみたいに自由に振る舞う新助が可愛かったのだけど、前楽で、

 喜の字:弟を心配してこうしてお姉さまが来ているんだ。もっと嬉しそうにしたらどうなのさ。

 新助:じろさんに会いに来てるんだろ!

とぶっこんできてびっくり。

慌てる喜の字も、「何を言いやがる!」とちゃんと江戸ことばで返しながらその後弾く三味線がいつも以上にめちゃくちゃだった次郎吉も、微笑む蝶之助さんも元吉ちゃんも、みんなかわいくて最高でした。

わかさま、やるな。

この場面の会話で、次郎吉が幸ちゃんと芝居小屋で共に育ったこと、幸ちゃんが三味線を得意としていることが喜の字にさりげなく説明されているのが、後で活かされるのも脚本が上手い…。そして幸ちゃんについて楽しげに話す次郎吉のきらきらした瞳がたまらないよ…。

あと、喜の字と次郎吉、元吉と新助、恋する男女それぞれの別れ際のお芝居がとてもよくて、にやにやしちゃう。喜の字と次郎吉のカップルの方がちゃんと大人なのに、恋の始まりの初々しさはどんな二人でも同じようにうつくしくて素敵なものだな、と思う。4人のお芝居の呼吸もうきうきした声色も、喜びがこぼれている笑顔も、すごくすごくよかった。

 

 喜の字:じゃあね、じろさん。あばえ。

 次郎吉:あばよ。

 喜の字:見つかるといいね、幸ちゃん。

 次郎吉:おう。

 

 元吉:ごめんください。

 新助:ごめんください。また来てね、元吉ちゃん!

 

…文字だけでもときめく!

 

 

第九場 川向う・両国回向院の賭場

幸蔵が仕切る賭場に行ってみようと誘う新助と次郎吉の歌~通り者たちの賭場ソング、リーダー幸蔵の登場までの音楽と流れがすごくすき。(わかさま新助があんまり無邪気でかわいいので、じゃれつかれる次郎吉が大人びて見えるのもよかった。曲中で丁半のやり方を教えたり、絡まれた通り者の間に入ったり、びびった新助に袖を掴まれて振り払ったり…じろさんもそれなりに遊びや喧嘩を知っている大人なのが垣間見えて最高です。)

ここで幸蔵が着ている茶色い着物の裏地が鮮やかな青なのが粋でかっこいい。

賭場の仕切りに文句をつけるとどんな目に遭うかを次郎吉と新助にわからせるくだりが初演と変わっていたけど、幸蔵を主役に描く以外の変更が他にほぼないので、なんでここを変えたんだろう…とちょっと面白く観ていた。(川の中よりも火の中に放り込む方があまりにも残忍すぎるから…?)

 

 

第十場 川向う・向両国の広小路

芸者三人の川開きの歌から始まる一幕最後のこの場、最初から最後まですきすぎる。

ここでふらふら登場する新助に続いて出てくる次郎吉が、団子屋の店先にいる大八木さんと丑右衛門さんを見つけてさっと挨拶するところが地味にすき。社会人をしている。あと丑右衛門さんに呼ばれて側でしゃがんだときのぴんと伸びた背中もすき。

幸蔵の事情にこれ以上踏み込むな、と言われて苛立ったように背中を向けるのに、元吉へ贈る簪を選ぶ新助の様子を察してお金を貸そうか声をかけるところ、感情の波を自分で鎮めてすぐ周りを気にかけることができるじろさんの大人加減がいい。

簪屋さんのえん蔵(朝陽つばささん)との会話も粋で素敵。気に入った細工の簪の値段を聞いて、「おう。それだけの値打ちはあらあな。」なんて言われたら、作った人も売る人も嬉しいよね。(次郎吉の求めた簪の作者がえん蔵さんのお父さんで、つまりえん蔵さんは親の仕事を継いでいて、隣でお団子を売る妹とも仲良し…ということがさらっと描かれるのも、親の仕事を継がなかった幸蔵と次郎吉との対比、ふたつの姉弟の関係との対比…など勝手に奥行きを感じられてすきなところ。)それと、いつかのカーテンコールで、この簪は月に向かって飛ぶ兎を模していて、出演者の飛翔を祈ってつくられたものと礼華さんが教えてくれて、大野先生やスタッフの方のやさしさに胸が熱くなった。

客席の天井と照明をつかった花火の演出も、花火を見上げる次郎吉のきらきらした瞳もあんまりきれいで、全部を目に焼き付けたくて、オペラグラスを外して全部を見るか、次郎吉の笑顔を見つめるか、観る前にあらかじめ強い気持ちで決めて臨んだ。あの瞳に、夏の夜の儚いうつくしさ、すきな人を想うことのきらめきが全部詰まってる。

簪をめぐる次郎吉と喜の字のやりとり、これはもうたまらないですよ…礼華さんがNOW ON STAGEで声のボリュームを上げて大好きと言っていたの、めちゃくちゃわかる。若くして妾奉公を終えて、芸者として立派に自立している喜の字だからこその純粋な少女性とそれまで幸蔵を追いかけるわんこみたいだった次郎吉のやさしい男の色気が同じ温度で香るように感じた。

それから、かつて幸ちゃんを失ったときのようにふたたび幸蔵を失うのが怖い、と弱気な笑顔を見せる次郎吉に応じるように、喜の字が自分も消えてしまいたいときがある、じろさんは消えないで、と弱音を吐く。そうやってお互いの弱さを見せ合いながら、情を深めていく男女の描き方がいとしいなと思う。

みんなわっちの前から消えてしまうんだもの、とつぶやく喜の字の背中を見つめる次郎吉の目が、もっと遠くを見ているようにも見えて、深くて少しこわくなった。これが十二場で丑右衛門さんのいう「他人の痛みを感じ取ってしまう」ときの目なのかな。

 

渡しそびれた簪を愛おしそうに見つめて、懐からふわっと取り出した手拭いに大切そうに包んで、再び懐にしまい、襟をきゅっと抑える次郎吉の一連の仕草がもうとってもよかった。彩海さんの次郎吉のやさしさのA面が全部ここに現れているなと思う。ひとり歌いだす声も、今まで聴いたことがないくらいまろやかであたたかいのに、表現しがたい透明感があって、喜の字が「消えちまいそうだよ」と言いたくなるのがすごくわかる。(そして最期に歌うのも同じ歌で、このときはやさしさのB面を感じている…)

 

お壱と幸蔵のやりとりも、いつも仲間には冷静な顔ばかり見せているはずの幸蔵が感情を露にしてしまうほど、お壱ちゃんも幸蔵にとって特別なひとであるのがわかるのが、ほっとするような苦しいような。

幸蔵の回想場面は初演と同じ演出だけど、生で観劇すると売られたお勝さんの乱れたお化粧や襦袢姿の生々しさ、初めて人を殺めた幸が、凶器に絡んだ自分の指を外すときの震え、ふたりに傘を差しかけるはっちさん淀辰の瞳の底知れなさ…細かなお芝居やつくりこみが伝える情報量の多さがものすごかった…。

 

幕間の客席で、あの簪は結局渡せたのかしら…という会話を何度か聞いてしまったのですが、幕が閉まる前に喜の字が次郎吉の買った簪を手にして微笑んでいますよ。

次郎吉、ちゃんと渡してますよ!!!

と言いたかったけど胸にとどめた。

 

 

つづきます。