大劇場公演の初日に行ってまいりました。
うつくしいひとの、うつくしい舞台人生の、特別な姿を観ることができて
ほんとうにありがたい思いでいっぱいになった。
黄金色の光のなか、黒燕尾を着て、大階段にひとり立つ姿のうつくしさに泣く。
でもルパンを観ているあいだはそんな感慨の隙間もないくらい、
楽しい気持ちでお腹いっぱいな幕間を迎えました。
ほんとうに楽しかった。
東京に帰ってきて、記憶を反芻しながら考えるのは、
早霧ルパンの男らしさについて。
この舞台を観るまえから、"男らしさ"も"女らしさ"もその正体は"優しさ"なんじゃないかな、
とぼんやり思っていて。
早霧さんのルパンはそんな仮説をたしかにしてくれる男らしいルパンでした。
たとえば窮屈な宮殿から一緒に抜け出したマリーの、
"お城に閉じ込めておいて、なんにも知らないと責めるなんてひどいわ"
に対してかけることば。
"被害者ぶるのはみっともないぜ、知ろうと思えばなんたって知ることができる"
ぜんぜん湿度がなくて、説教臭く聞こえないの。
同情とは違う次元の、深みのある優しさを感じる。
"わたしの将来はどうなるの?"
と無邪気に聞くマリーに、"幸せに暮らすよ、家族とずっと。"と答え、
自分たちが現代に戻れないかもしれないリスクを犯しながら
そのことばを嘘にしないために動くこと。
成功後も、自分を案じるマリーに
"わけないさ"
とからっと笑うかっこうよさ!
今日フジテレビでやっていた宝塚の番組をみていて、
"外国の映画から、男らしい仕草、男の色気を学んだ"とあって
たしかにそういう外見的な、宝塚的記号的なそれらにもきゅんとするんだけど
(おもに女性がそのための努力を重ねているという点で)、
こんなふうに無条件な優しさ=内面の男らしさ、を宝塚で感じることは
あまりなかったかもな、とあらためて思ったのでした。
それもルパンだなんて。不意打ちすぎる。
これが脚本演出によるものなのか、早霧さんのお芝居によるものなのか
たくさん観てたしかめることができたらいいな。
みゆちゃん演じるマリーアントワネット。
出てきたときから直感の鋭さ(たとえば対ローアンさん=きんぐさんの変態さ)と
人並みはずれた素直さを持て余しているのがすごくわかって、
それゆえの革命後の覚悟の姿にとても納得感があったのがさすがと思った。
自分の愚かさに気づいているけれど、
自分の興味や寂しさや愛情や目の前でおきることをただただ受け入れていくことしかできないひとだったんだな。
ルパンと宮殿を抜け出すときの吐息みたいな「よいしょ」がかわいすぎた。
ほかにも。思い出すたびに
銭形さんは、ほんと銭形さんなのに、
ルパンとの信頼関係と、早霧さんと夢乃さんのそれを重ねて苦しいし、
カリオストロさんはかわいすぎるし、
ふじこちゃんのエロくない記号的なエロさがすごくいいかんじだし、
五エ門はさりげなくお茶目で素敵だし、
次元のスタイルのよさにびっくりするし、
あとあとあと…∞。
わたしにとっては一回きりの大劇場公演だったので
東京の初日が楽しみでなりません。
ショーに関しては、東京でもっかい観てからアウトプットしたいと思う。
それと
先述の、異性への無条件な優しさを男らしさ・女らしさと感じることと
早霧さんと咲妃さんの演技に感じる利他性というか…
には関係があるのかなと思ったので、
今後考えて言語化していきたいと思った。宿題。